東京オリンピック、バスケットボール女子日本代表の林咲希さん。
大活躍で、日本を勝利に導いた事で注目を集めています。
林咲希さんのご家族はどんな方なのでしょうか?
お父さんやお母さん、お姉さんについても調査しました。
目次
【林咲希】家族構成はこちら
(画像引用:糸島市広報誌)
林咲希さんのお父さんは2017年に53歳で口腔底がんで他界しています。
ご家族は4人家族です。
- 母親(幸子)
- 姉(美穂)5歳年上
- 姉(ゆい)3歳年上
(画像引用:糸島市広報「林咲希物語」)
それではお父さんから順番にご紹介していきます。
【顔画像】林咲希の父親の職業は公務員

林咲希さんのお父さんは2017年に53歳で他界されています。
お仕事は、糸島市の職員でした。
そのかたわら、中学時代にバスケ部に所属していたお父さんは、当事の親友と一緒に小学生向けのミニバスチームを立ち上げています。
【林咲希の父】ミニバスチームを設立

糸島市には、小学生を対象としたミニバスケットボールのチームが9つあります。
林咲希さんのお父さんは、そのうちのひとつ、雷山ミニバスチームを平成7年に発足しています。
林咲希さんと2人のお姉さんも、ミニバスチームで練習をしていました。

お父さんは、私情が入るからという理由で男子を指導していたそうです。
お父さんは林咲希さんを直接指導された訳ではなさそうですが、試合会場から自宅に走って戻るときは、バイクで伴走していたそうです。
ありがとう、ごめんなさい、いただきます。
この三つをきちんと言える人間になること。
感謝を絶対に忘れんこと。それだけできれば、よかよか
と、口数は少ないけれど、静かに見守ってくれていたとの事です。
【林咲希の父】糸島市のバスケットボール会長も

林咲希さんのお父さんは、糸島市のバスケットボール協会の会長も務めていました。
小学生のバスケットボールの大会「豊樹カップ」は、林咲希さんのお父さんの功績を讃え「雷カップ」から名称が変更されたのだそうです。
【林咲希】父親は命がけで応援

林咲希さんのお父さんが亡くなったのは、2017年8月25日。
ちょうど、林咲希さんは台北で開催されたユニバーシアード夏季大会に女子日本代表として出場していました。
父なら『やり遂げて帰ってこい』と言うはずだから
と、林咲希さんは一睡も出来ない中でも頑張り、銀メダルを獲得しています。
また、お父さんは無くなる2週間前にも、飛行機に乗って林咲希さんの応援に駆けつけています。

主治医には
命にかかかわるから
と、飛行機での移動は止められていましたが
ジャパンのユニホームを着ている咲希を自分の目で見られるのは最後かもしれない
と、東京でのユニバーシアード女子日本代表の試合の応援に来てくれたそうです。
【顔画像】林咲希の母親の名前は幸子で年齢も

林咲希さんのお母さんの名前は幸子さんです。
年齢はお父さんより1歳年下なので、2021年で56歳だと思われます。
【顔画像】林咲希の姉は2人で激似

林咲希さんの2人のお姉さんの名前はこちら
- 林美穂(5歳年上)
- 林ゆい(3歳年上)
林咲希さんのお姉さんたちはも、お父さんが発足したミニバスチームの「雷山ミニバスチーム」に所属していました。
(引用元:糸島市広報紙「林咲希物語」)
林咲希さんは、お姉さんたちがバスケをする姿をみて自分もやりたいと思ったようです。

平成26年の第63回全国青年大会では、美穂さんとゆいさんが選手として参加し優勝しています。
【林咲希】プロフィール

生年月日:1995年03月16日
出身地:福岡県糸島市
身長体重:173cm/67kg
学歴:精華女子高校(偏差値39~47)→白鴎大学
まとめ
家族のサポートや応援があり、感謝の気持ちを忘れずに努力を続けてきた林咲希さん。
東京オリンピックでは全力を出し切って欲しいですね。