東京五輪、競泳男子400メートル個人メドレー代表の井狩裕貴さん。
中学時代・高校時代から相当ハードな練習を毎日行っていたとのこと。
私生活でも選手としての成長を第一に考え、よりハードな環境に身を置くほどストイックなことで有名です。
今回は、井狩裕貴さんの家族構成について、エピソードを交えて紹介したいと思います。
目次
井狩裕貴の家族構成は3人でこちら

井狩裕貴さんの家族構成はこちらです。
- 母親
- 井狩裕貴さん
- 弟
それぞれ確認していきましょう。
【井狩裕貴】亡き父親とのエピソードはこちら

日本一の選手になれるようにたくさんサポートしてくれたお父さんは、井狩裕貴さんが中学2年のとき46歳で亡くなってしまいました。
お名前は公表されていません。
もし生きていらしたら、年齢は53歳(2021)です。
- 対戦選手の情報収集をしてくれた
- 試合や練習のときに、早朝にも関わらず送迎してくれた
- 誰よりも応援してくれた
井狩裕貴さんが語るお父さんのサポート内容から、とても強い親子関係があったと推測することができます。
詳しく見ていきましょう。
【エピソード①】対戦選手の情報収集をしてくれた
井狩裕貴さんのお父さんは、試合前や大会前になると、対戦相手の情報収集をしてくれていました。
日々厳しいトレーニングを頑張っている井狩裕貴さんの勝率が少しでも上がるよう、一緒に対策を練っておられたことと思います。
【エピソード②】早朝の送迎
ハードな練習は早朝から始まることも多かったようですが、そのたびにお父さんが車で送迎してくれていました。
仕事がある日も休みの日も、井狩裕貴さんのために時間を惜しまなかったことがわかります。
【エピソード③】誰よりも応援してくれた
井狩裕貴さんのお父さんは、いつも水泳に関する記録をつけていたようです。
大会や試合での結果はもちろんのこと、練習メニューや練習での記録もつけていたとのことです。
一緒に成長していくことを強く望んでいたことがわかりますね。
【井狩裕貴】父親は心の中に生きている

お父さんとのエピソードで最も印象に残っていることを聞かれたときには、
小さい体が不利であると父親に言ったことに対して、「ジャイアント馬場は水泳が速いのか?」と言われたこと
だと語っていました。
たくさんの励ましをもらったことから、試合の時にはいつも
「父がついてくれている」
と思うことができるそうです。
井狩裕貴さんのお父さんに対する愛情や、尊敬の気持ちを感じ取ることができますね。
【井狩裕貴】母親とのエピソードはこちら

井狩裕貴さんのお母さんのお名前は、井狩珠子さんです。
お母さんは料理が上手なようで、井狩裕貴さんはお母さんが作るハンバーグが今でも大好物とのこと。
お母さんは、高校入学にあたって地元の岡山県を離れる井狩裕貴さんに対し、
「責任を持ってやりたいことをやりなさい」
と送り出してくれたそうです。
子供が親元を離れていくということは、親としても不安なことが多いと思います。
そういったお母さんの気持ちを理解しているからこそ、井狩裕貴さんも強い気持ちでいることができているのだと思います。
【井狩裕貴】弟とのエピソードはこちら

井狩裕貴さんの弟さんについては、エピソードが1つあるのでご紹介します。
井狩裕貴さんが小学校4年生のときに、弟と2人でスイミングスクールの練習に参加した事があったそうです。
ところが練習が厳しすぎて、弟は途中でリタイアしてしまったようです。
一緒に練習に参加することや井狩裕貴さんの家族愛からすると、仲が良いんだろうなとイメージすることができますね。
井狩裕貴プロフィール
最後に、井狩裕貴さんのプロフィールを紹介します。

- 出身地:岡山県岡山市
- 身長/体重:175cm/70kg
- 生年月日:2000/08/21
まとめ
今回は、井狩裕貴さんの家族構成とエピソードについて紹介しました。
エピソードからは、たくさんのサポートを受けたことに対して、結果で恩返しをしようとする気持ちが伝わってきますね。
東京五輪での活躍を願わずにいられませんね!