ミヤンマーで最も有名な日本人の1人と言われるすわじゅんこさん。
その歌声でたった一晩でミヤンマーの有名人になった経緯をまとめてみました。
また、大変美しいすわじゅんこさんの結婚相手や、お子さんについても調査しました。
目次
【すわじゅんこ】プロフィール

生年月日:1984年12月17日
本 名 :諏訪淳子
身 長 :148cm
出身地 :栃木県大田原市
学 歴 :大田原女子高校(偏差値55)
獨協大学経営学部経営学科卒業(2008年)
(偏差値52.5)
栃木県大田原市の国際親善大使を務める
【すわじゅんこ】結婚して旦那や子供は?

すわじゅんこさんのブログによると2018年に入籍されたようです。
私ごとではございますが、去年入籍を致しましたので、ご報告させて頂きます。今後もより一層、音楽活動に力を注いでいきますので、これからも、よろしくお願い致します。
(2019年2月ブログ「音楽と生きる日々より」)
お相手の方については公表されていません。
2019年に活動拠点をミヤンマーに移している事から、
お相手は現地の人では?
という憶測もありますが、コロナの影響でビザの更新手続きができなくなり、4月には日本に帰国。
また、2020年の12月には女の子を出産されています。
ですので、お相手は日本の方なのかな?という気がします。
【すわじゅんんこ】子供の画像はこちら
【ご報告】
12月21日 15時50分
2838gの元気な女の子を出産致しました。
母子共に健康です。
これからは、この世界に産まれて来てくれた命を精一杯守りながら、より一層パワーアップして行きたいと思っております。新型コロナウイルスの一日も早い収束を願うとともに皆さんもどうかお体ご自愛ください。 pic.twitter.com/7KMJBU9Arp— すわじゅんこ (SuwaJunko) (@suwajunko) December 22, 2020
可愛い女の子ですね。
これからの成長が楽しみです。
【すわじゅんこ】経歴はこちら
9歳から西那須野少年少女合唱団で歌を習っていたすわじゅんこさん。

老人ホームで歌って、喜んでもらえた事が嬉しかったそうです。
【すわじゅんこ】歌手を目指した動機は?

歌手になろうと決めたのは中学生のころ。歌うことは好きなのに「引っ込み思案でやりたいこともやりたいと言えなかった」。
劣等感でいっぱいの中で聴いた鬼束ちひろさんの代表曲「月光」。
「こんなもののために生まれたんじゃない」――。
歌詞が胸に突き刺さり、生き方を変えた。
(NNA ASIAより)
【すわじゅんこ】高校は大田原女子高校
すわじゅんこさんは大田原女子高校を卒業されています。
偏差値は55
高校では音楽部に所属されていたそうです、
ノートに歌詞を書きためて、2年生の文化祭では大勢の前で歌う経験も。
沢山の声援をもらって
人を喜ばせたり、大勢の前でにぎやかなところに立つ魅力に目覚めた
という事です。
【すわじゅんこ】大学は獨協大学経営学部
大学は、獨協大学経営学部経営学科を卒業されてます。
偏差値は52.5
在学中の2006年、avexでボーカルレッスンも。
代々木公園で路上ライブもされていたようです。

歌声もですが美人ですし、目立ちますね。
【すわじゅんこ】ミヤンマーに行ったきっかけは?
大学卒業後も路上ライブは継続されていたようです。
2011年はオリジナルの作詞作曲アルバム「光束」をリリース。

2012年には、米国のテレビオーディションで優勝。

プロ野球の公式戦で国家独唱するなど、確かな歌唱力をお持ちであることがわかります。
【すわじゅんこさん】
今日(5日)、シンガーソングライター
すわじゅんこさんの路上ライブ(新宿駅西口側)に行ってきました!
素敵な歌と音楽を聴かせて頂きました(^^)#すわじゅんこ #路上ライブ pic.twitter.com/5APIZJ4bv6— やなさん♂@めりーちゃん (@yana_san611) June 5, 2013
【すわじゅんこ】一晩で人生が変わった
転機は2015年。
- 知人の勧めで足を運んだ高田馬場のミャンマー料理レストラン。
- リクエストされてミャンマー語で宇多田ヒカルの「ファースト・ラブ」を歌った。
- 知人のSNSで公開した動画がミャンマーで一晩で25万回以上再生される
その後、水掛け祭り(ミヤンマーの正月とも言われる)ミヤンマーを訪問。
ステージに上がって歌った所、TV放映され一夜にして有名人に。

ヤンゴンの会場は5万人の観衆でぎっしり埋まっていた。覚えたてのミャンマー語で伝統の歌を歌うと、観衆は水を掛け合いながら大合唱。一体感で抱えていた不安が吹き飛んだ。「舞台にいるのに痛いぐらい水がかかり、笑顔が止まらない。言葉を超えた音楽の可能性を感じた」。ティンジャンの舞台に外国人が立つことは珍しく、テレビ放映で一夜にして有名人になった。
(NNA ASIAより)
その後水掛け祭りでは5年連続でステージで歌われたようです。
2019年にはミヤンマーに拠点を移して本格的に芸能活動。

- ミヤンマーでオリジナル曲「ありがとう」でCDデビュー
- 美容・外食の「yathar」のイメージモデルとしてCM出演
など、ミヤンマーで一番有名な日本人の1人に。
まとめ
現在はコロナ禍の為、日本に帰国を余儀なくされ、You Tubeでミヤンマー語の歌詞をつけて歌を発表されているようです。
もともとSNSの発信がキッカケでミヤンマーでブレイクした経緯もあります。
出産されて子育てもありますし、無理のないペースで日本とミヤンマーの架け橋になっていただけるといいですね。
